2012年4月7日

「巨怪伝〜正力松太郎と影武者たちの一世紀」佐野眞一を読んで

佐野眞一「巨怪伝〜正力松太郎と影武者たちの一世紀」(文春文庫)が面白すぎで、圧倒されてしまった。一つには正力松太郎の巨大さにであり、もう一つは本書に9年間かけたと言われるノンフィクション作家佐野眞一氏の圧倒的な取材力と筆力にである。膨大なエピソードがちりばめられた1,000ページにものぼる大著だが、あきっぽい私でも読み終えるのが惜しいと思ったほど。

正力松太郎は、一般に"大衆操作の天才"と呼ばれ、プロ野球の父、テレビ放送の父、原子力発電の父と称される。正力の遺産はとにかく巨大なものだった。弱小だった「読売新聞」をプラウダを超える世界一の大新聞に育てたことに始まり、自由民主党の大連立を仕掛け、日本初のプロ野球チーム「読売巨人軍」発足、日本初の民放テレビ局「日本テレビ」開局、当時そのテレビで独占中継され根強い人気を持つ「プロレス」の立ち上げ、Jリーグ発足の基となった「読売サッカークラブ」創設、カナダ・カップ日本開催による「プロゴルフ」ブーム、原子力平和利用ブームを起こし「原子力発電」の日本への導入と、昭和大衆史は正力抜きでは語れないことを痛感する。

正力松太郎の豊富な人脈と行動力と独裁ぶりには度肝を抜かれるし、怪物といえる人物であった。だが正力の特徴は、反共産主義だった警視庁時代以降は、「大衆操作の天才」でありながらイデオロギーや国家主義的なものとは無縁だったことである。数々の事業は彼の名誉欲、達成欲、独占欲を満足させるためであり、自身が総理大臣へのし上がるためのものであった。正力は「警察庁と警視庁の区別が最後までつかないような男」だったし、プロ野球を導入しながらも野球のルールは知らないし、新聞社を大きくするがペンを使ったことはなかったし、原子力平和利用ブームをあおりながら「原子力に関する知識は小指の先ほどもなかった」人物であった。

そこで彼は影武者たちの功績を自分の功績にすり替え、彼らをつぶしにかかるという行動を繰り返す。本書でわかることだが、本当のプロ野球の父と言えるのは鈴木惣太郎であり、テレビ放送と原子力発電の父は柴田秀利であり、読売新聞を世界一にしたのは務台光雄といった「影武者たち」であった。彼らが正力との関係に煩悶しながら大事業を成し遂げる姿は圧巻である。

正力の部下たちは、正力の頭にひらめいたとっぴなアイデアを実現するために、文字通り奴隷のように働いた。だが不思議なのは、彼らはそれを完全に嫌っていたわけではなく、正力を最悪の人物とののしる一方で、正力と一緒に仕事ができたことはすばらしかったと熱く語るのが読売OBの共通点だという。ある読売OBによれば正力に比べれば渡邉恒雄はまるで小物で「形骸化された正力」であるらしい。正力が自分の意に沿わない人間も能力主義で重用し続けたのに対し、渡邉恒雄は腹心だけで組織を固めてしまった。組織人とは何なのかを考えさせてくれる。

正力松太郎の業績は、現在でいうと、新聞・テレビのクロスメディア、記者クラブなどの「マスメディア」問題や、原子力ムラと言われる「原発」問題につながり、そこに冷戦構造下のアメリカの思惑が深くかかわっていたことがよく理解できる。このことを紋切り型にいい悪いというのではなく、本書を通じて、当時の正力や影武者や政治家たちが何を考えどんな思いで行動してきたかを理解することこそ有益であると思う。

著者はあとがきでこう書いている。『この本は、”庶民”というものが、いかにして"大衆"というものに変貌したのかというのが大きなモチーフとなっている。そのモチーフをさぐる上で、正力松太郎ほど格好な人物はいなかった。』

昭和史を深く知る上でも、一級のエンターテイメントとしても、著者渾身のノンフィクションをぜひご堪能あれ。

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